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大洲城復元までの道のり

復元は木にこだわった天守閣

大洲市制50周年である2004年9月に向けて大洲城天守を復元するにあたり、当時の担当者は共通の想いを抱いてプロジェクトを立ち上げました。1つは復元した天守が将来の文化財となるよう、可能な限り本物を目指すこと。そしてもう1つは、天守復元の価値を市民と分かち合えるよう、市民参加型の事業にすることです。工事の際には復元のスローガンとして「復元は木にこだわった天守閣」という文字を幕にして掲げていました。

 

復元に踏み切った理由

大洲市が大洲城木造復元を決断したのは、四層四階建ての木造天守の復元は日本初ということ、そして復元するための資料が豊富に残っていたという背景があります。中でも江戸期に作られた天守の内部構造の分かる木組みのひな型や、天守解体前に撮影された大洲城の古写真など、復元するには十分なほど資料が残っていました。また、発掘調査によって天守ひな形と合致する場所に礎石と呼ばれる柱を支える石が出土し、木組みのひな型が信ぴょう性の高い一級資料となったことや、大洲城の古写真は石垣の形が分かるほど鮮明に写されていたことで、大洲城は木造での天守復元に向けて大きな一歩を踏み出すことができたのです。実際に天守が復元された際には2段ほど抜かれていた石垣や、天守と石垣の間にある差し石まで同じ形で復元されています。

 

大きな壁となった建築基準法

大洲城を木造で復元する上で、解決しなければならない最大の壁は建築基準法でした。木造で天守を復元した際に、天守の中に観覧者が入れるようにするには、建築基準法によって定められた安全を確保しなければいけません。一方で、建築基準法の規定内で天守を復元した場合、耐火性や排煙設備などの対応が求められ、木造で復元することができません。

大洲城が木造で復元を行う際、ロールモデルとなったのは宮城県の白石城です。白石城は1995年に木造にて復元されていますが、これは建築基準法第38条の大臣認定を取得することによって復元されています。しかし、平成10年6月に建築基準法第38条が削除されることになり、白石城に倣った形での大洲城の木造復元はできないことになりました。

大洲市の担当職員は研究や関係機関への交渉を続け、建築基準法第3条「文化財保護法で規定する国宝、重要文化財などの建築物やそれらを再現する建築物は建築基準法を適用しない(要約)」という条文が当てはまらないかと考えました。しかし、この法律は地震や火災などによって被害を被った建築物のための法律であるため、大洲城の天守復元の際に適用するのは難しい結論に至ります。

 

そのような協議を進めているうちに2000年3月、天守復元の設計に入るタイムリミットが近づき、鉄筋コンクリートでの再建とするか大洲市制50周年事業から遅れるか、協議するも結論はでませんでした。そのような中、設計事務所から1通のファックスが届きました。それは兵庫県丹波篠山市の篠山城大書院は建築基準法第3条(建築基準法の適用除外)によって復元されたため、これを参考にすると大洲城も木造での復元が可能かもしれない、という内容でした。国の史跡では、史跡の価値を高めるという意義で、建築基準法の適用除外が可能な仕組みが存在していたのです。それを知った市の担当者は愛媛県庁に報告、愛媛県庁は県の指定史跡内で建築基準法を除外できると判断、大洲城天守の木造復元が法的に許可されたのです。復元に際しては、建物が構造上・防災上安全であるか、復元する建物が史実に忠実な設計となっているかを公的な機関での証明もなされました。つまり、大洲城の天守は法的にも完全復元であるということが求められたのです。

 

市民参加型の天守復元

復元が始まると、当初の「市民参加型の事業」という構想通り、様々な市民参加型のイベントを実施しました。「御杣始め式(みそまはじめしき)」では大洲藩主加藤家の菩提寺である如法寺にて最初の木材の切り出しを行い、「木曳き式(きびきしき)」では天守の中心となる柱や復元に使う木材を参加者で担いで町を練り歩き、「上棟式」では老若男女が参加できるよう忍者ショーやお茶会、天守閣の高さまで気球で昇るなどのイベントを開催しました。そのほか、天守復元の様子を見ることができる一般見学会も多く開催し、計2万人ほどが復元工事の見学に参加しました。

また、天守復元には多くの方に募金・募木をいただきました。募金活動は目標額が5億円に対して、5億2千8百万円を達成。また、天守復元に必要な材木をできる限り地元の木で賄うため、森林組合を中心に地元の木材で賄いました。地元の木材は来訪者に触ってもらえる柱材に使用し、木材の提供者の名前が分かるように山から切り出したところから追跡することで、自分が提供した柱がどこに使われているかが分かるようになっています。最終的には天守の柱138本のうちを121本が地元大洲のヒノキ、残りは天然の木曽ヒノキを含む国有林から用い、2004年9月に大洲城天守閣の木造復元が竣工しました。大洲城の天守の復元は、まさに地元住民の想いと資料研究の集大成と言えます。

 

歴史まちづくりの始まり

2004年の大洲城天守復元を皮切りに、大洲のまちづくり事業は本格化しました。2022年に国際公式認証機関グリーン・デスティネーションが実施する世界の持続可能な観光地トップ100選に選定、2023年には文化・伝統保全部門で第1位を獲得、2024年には世界の持続可能な観光地アワードにてシルバーアワードを受賞するなど、今では大洲市の持続可能な観光まちづくりが世界的に認めらるようになっています。これからの未来に大洲城下町の文化や歴史を後世に受け継いでいくことこそ、大洲のまちづくりの使命なのです。